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  日本ペルー協会  ASOCIACION NIPPON-PERUANA
日本ペルー協会は日本とペルー両国民の相互理解と友好親善の促進を目的とする民間任意団体として 昭和4年に結成されました。第2次世界大戦の一時期活動を停止し、戦後両国の外交関係復活を機に再発足し、 企業・個人会員の支援を得て、今日に至っております。 当協会は日本・ペルー両国の産業、文化および親善関係の増進、相互繁栄に寄与するため活動をしており、 会報の発行、講演会などの開催、および国情に関する情報の収集、紹介などを行っております。
お問い合わせ TEL:03-3595-6196 FAX:03-3595-5598 andes@krc.biglobe.ne.jp
「ペルー」に関する様々なニュースを紹介します(日本ペルー協会会報より一部抜粋)。
観光だけではないペルーの「今」が見えてきます。
  2016.1.6   新刊のご紹介「トリコガイド ペルー 1st EDITION」
  2016.1.6   新刊のご紹介「インカの世界を知る」
  2015.1.19   「銀嶺のアンデス-高橋是清のペルー銀山投資の足跡-」
  2015.1.19   「荒井隆宏のペルー料理本」
  2014.7.3   山形大学の研究所がリャマを描いたナスカの地上絵を発見
  2014.3.10   秋篠宮ご夫妻がペルーを訪問された際の新聞をご紹介
  2014.1.6   ペルー人は世界一の食いしん坊
  2014.1.6   ペルー料理界の新星が手がけるのは、学術とアートが融合した新しいひと皿
  2014.1.6   古代文明の生成過程〜西アジアとアンデスの比較〜
  2013.11.21   世界を席巻する!? 現代ペルー料理の“ペルービアン”ってどんな料理?
  2013.11.21   メディアに注目されるペルー料理
  2013.8.01   フェスティバル ラティノ アメリカーノ 2013 チャリティバザーのご案内
  2013.4.30   ペルーフェア開催
  2013.3.25   フォルクローレコンサートのお知らせ
  2013.2.28   山形大学がナスカに地上絵研究所開設
  2012.6.11   円借款供与決定
  2012.6.11   コンガ鉱山の開発問題
  2012.4.7   未来への絆
  2008.6.16   日本ペルー友好の日 記念祝賀会
  2008.5.22   幸せな誘拐結婚式 ―ラマスの先住民を訪ねて―
  2008.4.2   日本企業、ペルーの石油探査に高い関心
  2008.3.12   石田仁宏大使のアルゼンチン大使へのご転任と目賀田大使のご就任
  2006.5.31   ペルー人画家 アルフレッド・アルカルデ
  2005.2.25   ナスカの地上絵への旅
  2004.6.28   健康と美容にカムカム
  2004.3   「タクシー・ウニオンの偽物」
  2004.3   ペルー日系人協会新会長にホルヘ・ハセガワさん
  2004.3   100周年記念病院が第2期工事落成式
  2004.3   ペルー日系人協会が永世会員証の授与式
  2004.3   リマ市電が営業を再開
  2004.3   フジモリ時代以降、就学率低下?
  2004.2   旧リマ日校同窓会会長にルイス・カワノさん
  2004.1   ahoritaという言葉
  2004.1   マチュ・ピチュ遺跡、保存の危機
  2004.1   ペルーの人口増加
  2003.5.3   フランシスコ・ピサロの像撤去
  2003.3.22   30万年前ペルーに馬がいた
  2003.2.8   インカの王トゥパクアマルの骨か
  2002.8.17   アンデス山脈の贈物、ルクマ
  2002.6.15   カラル遺跡で楽器発見 大腿骨や助骨、上腕骨で作った笛
  2001.8.18   アンデス文明におけるいけにえ
  2001.7.28   マチュピチュ、クスコの農場主が発見


新刊のご紹介「トリコガイド ペルー 1st EDITION」
  出版社:竢o版社 定価:1620円(税込)

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torikoguide

【2016.1 ペルー協会 会報 / 書籍のご案内 より】

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新刊のご紹介「インカの世界を知る」
  木村 秀雄(著) 高野 潤(著) 出版社:岩波ジュニア新書 定価:960円 + 税

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inkanosekai

【2016.1 ペルー協会 会報 / 書籍のご案内 より】

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「銀嶺のアンデス-高橋是清のペルー銀山投資の足跡-」
  著者:五味 篤 (アンドレス・デル・カスティージョ協会)

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 "銀嶺のアンデス"をペルー協会でもお買い求め頂けることになりました。
 ご希望の方はぺルー協会までお電話かメールでお問い合わせ下さい。

 【日本ペルー協会 事務局】
 TEL:03-3595-6196
 FAX:03-3595-5598
 andes@krc.biglobe.ne.jp

ginryo

【2015.1 ペルー協会 会報 / 書籍のご案内 より】

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「荒井隆宏のペルー料理本」 著者:荒井 隆宏 (柴田書店)
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日本ペルー協会会員でもあり、新橋にあるペルー料理の名店「荒井商店」のオーナーシェフ、荒井隆宏氏による、ペルー料理最新本が出ました! 前作の"ちょいラテンごはん"は手軽で陽気なレシピということでしたが今回は本格的なペルー料理です。いま世界が大注目のペルー料理、 ぜひ書店でお求めください。 定価2,500+税

araitakahiro

【2015.1 ペルー協会 会報 / 書籍のご案内 より】

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山形大学の研究所がリャマを描いたナスカの地上絵を発見
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ペルー・ナスカの地上絵の研究を続けている山形大学人文学部付属ナスカ研究所が8日、新たに現地の家畜リャマをかたどった複数の地上絵を発見したと 発表した。紀元前400〜同200年どろのものと見られ、有名なハチドリの地上絵よりも古い年代だという。

同研究所副所長の坂井正人教授ら15人が昨年秋から現地調査し、ナスカ市街地東北部の斜面に、全長4メートルから15メートルのリャマ5体の絵を見つけた。 一帯ではすでに見つかっているものも含めて17体のリャマの絵が集まっており、いずれも黒い石を除いて白っぽい地面を露出させる手法で描かれている。

市街地や畑が近くに迫っており、坂井教授は「地上絵が破壊される恐れが強く、早急に保護が必要」と説明、ペルー文化省にも立ち入り制限などを働きかける という。ナスカの地上絵は世界遺産。(米沢信義)
【2014.6 ペルー協会 会報 / 朝日新聞 DIGITAL より】

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秋篠宮ご夫妻がペルーを訪問された際の新聞のご紹介
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2014年1月25日、秋篠宮ご夫妻がペルーを公式訪問されました。昨年はペルーとの外交関係樹立140周年であり、アルゼンチン との移住協定発効50周年をともに迎え、両国から招待がありました。ペルーでは大統領を表敬訪問し、移住一世とご懇談。 30日にアルゼンチンに移動され、記念式典などに出席。2月5日にご帰国されました。

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【2014.2 ペルー協会 会報 / Peru Shimpo より】

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ペルー人は世界一の食いしん坊
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世界の料理界が熱烈なラブコールを送るモダンペルー料理。しかし、その礎は大衆的なペルーのソウルフードがあってこそ、と私は思います。 たとえば、セビチェ(魚介のレモン和え)やロモ・サルタード(牛肉野菜炒め)、ロコト・レジェノ(肉詰め唐辛子)など、その膨大なバリエーション には驚くばかり。また、ここには、"ペルーのソウルフードこそ世界一"と断言する食いしん坊国民が存在するのです。そんな彼らは大盛りのランチ プレートを目の前に「夜は何を食べよう?」と嬉々たる悩みで胸を弾ませ、スーパーのレジ待ちの行列では赤の他人同士が食べ物談義にヒートアップ。 なぜ、ペルー人はこんなにも"食"に興味があるのでしょうか。

理由のひとつに、特異な地勢があります。ペルーの国上は西側に水産資源豊かなフンボルト海流、中央にアンデス山脈を中心とした山岳地域、 東側はアマゾン川が流れる熱帯雨林地域と、世界の8割もの気候がこの一国に見られるのです。この恩恵を受け、人々は熱帯雨林から高地に至る 食材を一年中愉しみます。こんな稀有な国、他には見当たりません。

また、近年の政治的安定と著しい経済成長が拍車をかけ、人々は料理の世界水準を学び、さらには国際的な食のイベントを成功させ、海外の トップシェフとの食の交流が盛んに行われるようになりました。

食の融合の歴史を持つペルー料理は、今後も未知なる美食の世界を求めて、大きく独自に進化していくことでしょう。世界一の食いしん坊たちが この地にいる限り。

                                             【文=仲宗根ゆうこ(ペルー料理研究家)】

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ペルー料理界の新星が手がけるのは、学術とアートが『融合した新しいひと皿

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水と塩にこだわり、独自の解釈で料理を作る
リマのガストロノミーを語るうえで、2010年に開業した「セントラール」は見逃せません。オーナーシェフのビル・ヒリオ・マルティネスさんは36歳、 厨房を担う料理人も25歳から35歳が多く、若手料理人の勢いが感じられる一軒です。

自国の食材の価値を高めるためにできること
学生時代は弁護士を目指していましたが、カナダ留学中にワインと出会い、英国へ料理留学したマルティネスさん。現在、月に一度数日かけてアンデスの山など ペルー各地を訪れ、流通していない食材を探すといいます。そして、さまざまな角度から料理を模索するべきと結成したのが、自身はもちろん人類学者や生物学者、 アーティストなど、ほかのジャンルで活躍する人々からなる"mater(母)"と名付けられたプロジェクトチームです。ユニークなコンセプトや独自の解釈でペルーの テロワールを追及する姿勢が注目され、初ノミネートながら2013年度の「世界ベストレストラン50」に入賞を果たしました。こうした取り組みは、自国の食文化に 誇りを持ちはじめたペルー人の心にも響き、大きな関心を集めています。

==Centaral(セントラール)==
住所:Calle Santa Isabel 376 Miraflores, Lima
電話:+5112428515
営業時間:13時〜15時30分(月〜金曜)、20時〜23時30分(月〜水曜)、20時〜翌日0時(木〜土曜)、日曜休日
ホームページ:"http://cantralrestraunte.com.pe/ ※要予約


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古代文明の生成過程〜西アジアとアンデスの比較〜
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旧大陸における古代文明の発祥地として知られる西アジア、そこでは豊かな自然環境のもと、農耕や牧畜が成立し、都市も早くから登場しました。 そしてその地における考古学的研究は、狩猟採集から農耕定住、余剰生産物の蓄積、そして巨大なモニュメントの建設へという、私たちが通常抱く ような古代文明観を作り上げることに貢献してきました。

一方で、南米アンデス文明における近年の研究からは、西アジアとは異なる文明形成過程が報告されています。今回のフォーラムでは、両地域で 長らく研究に携わってきた考古学者を招いて、最新の調査成果を報告してもらうとともに、従来の古代文明観が揺るぎないものなのかどうかを再検討 し、両古代文明の特性について討論していきたいと思います。

日時:2014年1月26日(日)
時間:13:00-16:00(開場12:30)
場所:JPタワーホール&カンファレンス ホール1
東京都千代田区丸の内2丁目7番2号JPタワー4階
定員:170名(先着順、申し込み不要)
参加費:無料

国立民族学博物館
http://www.minpaku.ac.jp/research/activity/news/rm/20140126

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世界を席巻する!? 現代ペルー料理の“ペルービアン”ってどんな料理?
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世界を席巻する!? 現代ペルー料理の“ペルービアン”ってどんな料理?
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20130724/1050966/?ST=life&P=1
■日経トレンディネット(2013年7月26日)

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メディアに注目されるペルー料理
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最近ペルー料理がメディアに取り上げられる機会が増えており、一部紹介いたします。

ジョシ目線
北村 美香
日本人に合うペルー料理

今年はペルーと日本の外交樹立140年。関係が深い割に日本ではあまり知られていませんが、食の世界でいま注目されているのがペルー料理。ペルー料理店が世界中で続々オープンしています。
ペルーには、海も山もあり、気候も多様。ジャガイモ、唐辛子、トウモロコシ、トマトなどの豊かな食材と、スペインや中国、日本、アフリカなどからの移民の食文化が融合してできたのが、ペルー料理です。魚介のマリネ「セビチェ」、牛肉とジャガイモ、トマト、赤玉ねぎのしょうゆベース炒め「ロモ・サルタード」など、日本人の口に合うものがたくさん。セビチェはペルーの国民食。作り方を、東京・神宮前のペルー料理「べポカ」のシェフに教えて頂きました。タイやひらめなど、刺し身用の白身魚を約1.5p角に切り、塩、コショウ。薄切りにして水にさらした赤玉ねぎ、みじんに切った赤唐辛子、香菜とともに、たっぷりのライム汁であえます。ペルー産の唐辛子(ネットで購入可)を使えば、より本格的に。夏にふさわしい爽やかなセビチェを、ぜひ試してみて下さい。(フードエディター&ライター)
■朝日新聞(2013年7月27日朝刊)   

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フェスティバル ラティノ アメリカーノ 2013 チャリティバザーのご案内
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今年も日本・ラテンアメリカ婦人協会主催によるチャリティ バザーが、東京プリンスホテルで開催されます。 中南米・カリブ諸国側からは、各国の特産品、珍しい民芸品、コーヒー、ワイン、食料品が、日本側からは、衣料品(婦人服、子供服)、クリスマス用品他沢山の品々が販売される予定です。
また、各大使館関係者による自慢の手作り料理やお菓子が用意され、生のラテン音楽を聴きながら、バラエティーに富んだラテンアメリカの味をお楽しみ頂けます。
本バザーの収益は、中南米・カリブ諸国の福祉友好親善事業に寄付され、慈善事業に生かされます。
ご家族、お友達をお誘い合わせの上、是非お出かけください。

日 時:11月1日(金) 11:00〜15:30
    (音楽とダンスショーは13時スタート、その後抽選会)
    ※午前10時30分以前のホテルへのご来場はご遠慮ください
場 所:東京プリンスホテル 「鳳凰の間」
入場券:2,000円(抽選券付き)
★入場券は弊協会にて予約受け付けております。
 ご希望の方は下記までお問い合わせください。
お問い合わせ先:日本ペルー協会
e-MAIL:andes@krc.biglobe.ne.jp
TEL:03-3595-6196
FAX:03-3595-5598
   

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「ペルーフェア」 開催概要
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会 期:2013 年5 月7 日(火) - 6 月7 日(金)
会 場:代官山蔦屋書店3 号館1 階T-TRAVEL&特設フェアスペース
住 所:〒150-0033 東京都渋谷区猿楽町17-5
主 催:代官山蔦屋書店、T-TRAVEL
開館時間:7:00〜26:00 *旅行相談受付時間: 11:00〜21:00(T-TRAVEL 営業時間内)
お問い合わせ先:代官山 T-TRAVEL 03-3770-7272
U R L :DAIKANYAMA T-SITE: http://tsite.jp/daikanyama/
   

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フォルクローレコンサートのお知らせ
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日時:4月5日(金) 18:00 開場 18:30 開演
場所:大田区区民ホール
入場料金:お一人 3000 円  (事前に振り込み後、チケットを郵送)
お払込込み先:三井住友銀行 亀戸支店(店番号254)普通 口座番号1800559 名義:モンテシーノス イリチ
演奏メンバー:リッキー ロドリゲス(ペルー)、 エフライン グテイエレス(ボリビア)、 クルス ラスルイサ(エクアドル)、イリチ モンテシーノス (ペルー) 
お問い合わせ先:和田様(TEL:080-6773-0109)、イリチさま(TEL:080-4009-1504 )へ、直接お願い致します。
   

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山形大学がナスカに地上絵研究所開設
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 山形大は2012年10月31日、南米ペルーのナスカ市に世界遺産「ナスカの地上絵」の研究所を開設した。欧米の大学も含めて現地に地上絵の研究拠点はなく、同大の開設が初めて。地上絵周辺から出土する土器や骨などの分析や保管をするほか、他大学とも共同研究を進める。
 研究所の敷地面積は約540平方メートル。2階建てで実験室や研究資料室、宿泊部屋などを設けた。同大の坂井正人教授(文化人類学)らの研究チームは2004年以降、人工衛星の画像を活用して新たな地上絵を相次ぎ発見している。
 同教授は日本文化人類学学会が10日に仙台市内で開くシンポジウムで、研究成果を報告する。 (日本経済新聞 2012年10月31日付朝刊42面)「日本ペルー協会 会報より」(2月28日)
   

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円借款供与決定
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 ウマラ大統領の訪日に際し行われた、野田総理とウマラ大統領との首脳会談において、日本政府はペルーの社会開発のため、総額258百万ドルの円借款供与決定を通報した。今次円借款通報案件は4案件、貧困削減、エネルギー再利用、上水道インフラ及び固形廃棄物処理の改善、地方観光開発に資するものである。(5月9日)
   

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コンガ鉱山の開発問題
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 水等に係る環境問題に端を発したコンガ鉱山に対する反鉱山運動の問題について、国際評価団によるコンガ鉱山の環境影響評価書の評価結果提出を受け、ウマラ大統領は、関係する湖等の水源の確保、保全、環境対策の徹底、社会的包摂を含む地元開発を条件としたコンガ鉱山の開発推進方針を発表した。(4月20日)
   

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未来への絆
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イベントタイトル :「未来への絆」
日時 :2012年4月7日(土) 2時開演(4時半終演)
場所 :東京ウィメンズプラザ ホール
入場料 :会員 2000円(日本ペルー協会/天野博物館友の会) 一般 3000円
タイムテーブル :1:00 - 2:00   会場設営・音響・映像チェック
          1:30 -     開場
          2:00 - 3:00 川畑伸子:トーク
          「人を支える、勇気付ける、具体的な方法としての「サイモントン療法」について」
          3:00 - 3:10 休憩
          3:10 - 3:20 フロール・ノルテーニャ:踊り
          3:20 - 4:05 鈴木智子&水口良樹:ペルー・トーク
          「豊穣なるペルー:自然・祭り・音楽・食・ひとびと」
          4:05 - 4:25 パリワニータ:音楽
          4:25 - 4:30 閉会
          (司会)奥村
主催 :日本ペルー協会
   
参加申込は日本ペルー協会まで
Tel : 03-3595-5364
E-mail : inca@kyi.biglobe.ne.jp
※参加をお申込の方は下記をお知らせ下さい。
  < 所属、お名前、ご住所、TEL、FAX、E-mail >

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幸せな誘拐結婚式 ―ラマスの先住民を訪ねて―
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クスコ在住のフォト・エッセイストすずきともこ氏が来日され、今年も楽しい講演を行ってくれます。

◆すずきともこ氏より  メッセージ◆
私が5年ほど通っているペルー北部のラマス村の先住民は普段ジャングルの森の中で生活をし、 本人たちはアマゾン民族だと言いますが、実はインカ帝国の言葉であるケチュア語を話し、 民族衣装や習慣などはアンデスのものとそっくりなのです。 2月に発売された「アンデスの祭り」にも紹介した、その不思議な先住民の村の幸せな誘拐結婚式の話を 写真をまじえてお話したいと思います。

日時 : 5月27日(火)  18:30〜20:30
場所 : JICA地球ひろば 302号
         〒150-0012  東京都渋谷区広尾 4-2-24
電話 : 03-3400-7717(代表)
講師 :すずき ともこ 氏
講演テーマ : 幸せな誘拐結婚式 ―ラマスの先住民を訪ねて―
会費 : 無料
定員 : 60名
   
参加申込は日本ペルー協会まで
Tel : 03-3595-5364
E-mail : inca@kyi.biglobe.ne.jp
※参加をお申込の方は下記をお知らせ下さい。
  < 所属、お名前、ご住所、TEL、FAX、E-mail >

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日本企業、ペルーの石油探査に高い関心
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Peru Petroのロナルド・エグスキーサ地域振興・対策担当理事は、日本の経済産業省傘下の 石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)が、ペルーの石油探査に投資を行う日本企業への支援の一環として ペルーにおける地質調査の実施に関心を示している旨を明らかにした。
同部長によれば、複数の日本企業がPeru Petroが3月に実施予定の石油・天然ガス鉱区入札をはじめ、 ペルーにおける石油・天然ガスの探査に高い関心を示しているほか、既にペルー国内で探査を行う企業との 合併事業なども検討している。
ペルーに対する石油探査投資を検討する具体的な企業は、三井物産、帝国石油、丸紅等で、このうち丸紅は Peru LNG液化天然ガスプロジェクトに資本参加(10%)している。

2008.3 「ペルー協会 会報」より

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石田仁宏大使のアルゼンチン大使へのご転任と目賀田大使のご就任
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【 石田大使のアルゼンチン大使へのご転任 】
平成17年(2005年)6月から特命全権大使ペルー国駐在として、日本とペルーとの関係改善にご尽力いただきました石田仁宏氏 が、1月17日付で特命全権大使アルゼンチン国駐在に転任されました。
新アルゼンチン大使として、益々ご活躍されることをお祈り申し上げます。

【 目賀田大使のご就任 】
目賀田修一郎(めがた しゅういちろう)氏が1月17日付で、新ペルー大使の発令を受けられました。

2008.1 「ペルー協会 会報」より

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ペルー人画家 アルフレッド・アルカルデ
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アルカルデ氏は1961年、ペルー、チンボテに生まれ、ペルー国立美術学校で学び、1991年にボルカスギャラリー賞、また、2000年に国立博物館・文化庁より、2000年の最も素晴らしい展覧会として「クスコの太陽章」を受賞されました。 ペルー、リマを中心に展覧会に多数出品しており、多くの作品はペルーや海外の個人収集家や公共機関に所蔵されています。現在、最も有望とされるペルー人画家の1人であります。

今回の絵画展では、アンデス、クスコ、リマの風景、そしてそこに住む人々、またパントマイム役者を描いた作品等が展示されました。素朴な中に大胆さがあり、繊細な藍色、深い緋色、そして景色や人々にあたる光の描き方が大変印象的でした。

ここに在日ペルー共和国大使館ジャックス・バルトラ臨時代理大使による紹介文の大意を掲載させていただきます。

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アルカルデの絵を見ると、ほんの一瞬の生の神秘の扉を開く力を持つ、ある種のインスピレーションが鑑賞者の心に伝わり、感性が研ぎ澄まされる。

視覚のトリックや複雑な細工などに頼ることのない、この才能ある画家の作品は、つねに生き生きとし、表現力があり、素朴で、流行や何々主義というようなものとは別のところにある。しかし、けっして彼の絵は評論家が言うような正統派の絵というわけではない。

すべてにおいて、うわべばかりのアカデミックな絵画とはまったく違うのである。まさに、アルカルデの絵は見せかけではないどころか素のままであり、付け加えていくのではなく、ひとつにまとめあげるものなのである。

運が彼に味方をすれば、早かれ遅かれ、まもなく、著名な場所やヨーロッパの美術館で彼の作品が壁にかかっているのを見ることになるであろう。

アルカルデが、稀にみる才能あふれる画家であることは疑いの余地もなく、そしてそれは偶然の産物ではない。アーティストは生まれついてアーティストであるとはいうが、この画家の持っているものは彼自身が培ったものである。そのようにしてのみ、バランスのとれた、ゆったりと、それでいて力強く、表現主義と印象派の中間にある彼の絵画は、厳しい批評家達に認められる域に達することが出来たのである。 この画家の絵画はまだそれほど知られてはいない。しかし、素晴らしいワインのように、その類稀な美質は時とともに深みを増していくのである。
2006.5「ペルー協会 会報」より

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ナスカの地上絵への旅(埼玉大学教授 加藤泰建氏『ナスカの地上絵への旅』より抜粋)
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ナスカは先インカ期の地上絵で知られる場所であり、訪れる日本人観光者も多い。地上絵の観光は普通セスナ機に乗って上空から見る。しかし、われわれの旅は車で陸路パンアメリカン道路を450kmほど南下して、ペルーの海岸砂漠を見ながらの行程である。 リマを朝出発したが、途中でペルー風のゆっくりした昼食をとったため、パルパの町に着いたのは夕方になっていた。広場に面した町の庁舎の二階に新しくパルパ博物館がつくられている。翌日の開館式に出席するのが、今回の旅の目的である。

博物館には1997年に始まったナスカ-パルパ考古学調査プロジェクトによって発見された学術成果が一般に公開展示されることになっている.調査団を率いるマルクス・ラインデルは若いドイツ人の考古学者である。この調査は当初スイスの財団からの援助で行われたが2002年からはドイツ政府の研究助成も受け、自然科学も含めた総合調査に発展してきた。博物館の開館にあわせて20数名の研究者が集い自然科学の方法を応用したナスカの考古学研究についてのワークショップも開催される。 パルパは1940年代にアメリカ人研究者ポール・コソックが初めて地上絵を学術的に確認した場所である。ナスカの地上絵はパルパ河谷の南に位置するインヘニオ河谷とナスカ河谷の問にある広大な台地に描かれたものが有名だが、地上絵研究の発祥の地は、このパルパなのである。そして今は保存上の問題があり台地での地上絵調査には制約が多いが、パルパ地域ではまだ発掘調査も可能であり、関連する遺跡も多い。ラインデルはここを拠点にして新しい技術を取り入れた本格的なナスカ研究を試みようとしているのである。

ナスカの地上絵といえば、その研究と保存に一生を捧げたドイツ人マリア・ライヘの名前が思い浮かぶ。彼女と親交があった楠田さんは病の床にあったマリア・ライヘの窮状を救うべく日本で基金を立ち上げ、また地上絵の保存活動にも支援してきた。マリア・ライヘの死後は、その遺志をいかしてナスカの研究振興を模索しつづけ、出会ったのがラインデルの調査研究とパルパ博物館建設構想であった。こうして博物舘は楠田さんが主宰する基金の援助を得て、完成の日を迎えようとしている。

われわれはナスカの町にあるNazca Lines Hotelに到着した。晩年のマリア・ライヘが、その一室を提供され、毎夕、訪れる観光客に講演していたというホテルである。ところで日本では「地上絵」という言葉がすっかり定着しているが、ペルーではNazca Linesつまり「ナスカの線」と呼ぶのが一般的である。動植物などの巨大な図柄だけが有名になっているが、実は、地上絵の正体は平らな台地にそれこそ無数に引かれた線なのである。

翌日、開館式前の時間を利用して、われわれは地上絵のある台地と、その対岸にあるナスカ時代の太宗教センター遺跡カワチを訪れることにした。今回は地上絵を上空からではなく当時の中心地であったカワチから見ることにした。そこにあるピラミッド建築の上に立つと、正面ナスカ川のはるか向こうに平らな台地がくっきりと見えた。まさに地上絵が描かれている場所で、そこだけ周囲の山並みがとぎれている。そして、あたかも目印であるかのように、褐色の台地に白い点が一つ見える。そこは地上絵の線が引かれた基点の一つとされている丘であった。ナスカの人々は、図柄は見えなくても、このようにして地上絵が描かれた特別の場所を眺めていたに違いない。遺跡を訪れると、いつも何か新しい発見があるものである。

夕方の開館式は、町をあげての盛大なもので、はるばるリマからやってきた研究者も数多い。楠田さんはドイツ大使、スイス大使とともに壇上の来賓席に迎えられた。関係者のスピーチは、いずれも日本の基金による援助について触れ、心からの謝辞が寄せられた。スポットライトがあたることには慣れているはずの楠田さんも、この日は特別の思いであったに違いない。ナスカの研究や保存事業への長年にわたる貢献が報いられた瞬間でもあった。(同行者は楠田絵里子氏、天野博物館 阪根博氏、山形大学 坂井正人氏)
2005.2「ペルー協会 会報」より

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健康と美容にカムカム
(2004.6.28付 International Press No.531の記事の大意)
近年、ペルー産品は日本市場の関心を集めている。最初はマカとウニャ デ ガト、そして現在はカムカムが注目されている。カムカムはジャングルで育ち、ビタミンCを多く含むことでとても評価されている果物である。
5月26日、日本の事業者、並びに新聞記者ら約100人がカムカム普及協会主催の“カムカムハッピーナイト”に集まった。その催しはカムカムが日本で広く知られることを目的とし、在東京のペルー大使公邸で行われた。
その中でカムカムはレモンの60倍、またアセロラの2倍のビタミンCを含んでいることが発表された。つまり、現在知られている果物の中で最もビタミンCが多いということになる。
ビタミンCは、美と健康を保つことで知られた成分である。成人は、その労働や生活習慣により差はあるが、少なくとも一日100mgのビタミンCが必要である。この量を摂取するためにはレモン200gが必要であるが、カムカムならわずか3.6g取るだけで充分である。
しかし日本人は、先ずはその生産者に関する情報を必要とする。ペルーは相変わらずあまり日本では知られていない国なのである。そのため、胃袋をとおして日本国民の心をとらえようと、カムカムハハッピーナイトの主催者は料理人にセビッチェやアヒ デ ガジーナ、カラプルクラ、カウサ レジェーナ、エスカベチェデ ペスカードといった様々なペルー料理をお願いした。また更に、寿司や牛のタタキなど日本料理も用意された。
カムカムは、通常、果汁が利用されるため、レモンの代りに使うことが出来る。この催しではセビッチェ、エスカベチェデ ペスカード、カウサ レジェーナ、サラダの4つの料理がカムカムで調理された。

カムカムの魅力
この催しで紹介された日本料理も米酢に代ってカムカムで調理された。新しい料理を創作する料理人の小田真規子氏はこのジャングルの果物に特別な魅力を感じている。
最初は、知らない土地に栄養価の高い果物があるということに引き付けられたのだが、カムカムという名前が親しみやすく、英語のcome(来る)や日本語の噛むを連想させ、こういったことがすべて魅力的だと説明した。
また、この果物に大きな将来性を予測するもう一つの重要な点は、その多目的性である。カムカムは飲み物であれ、食べ物であれ、すべての食品に使用することが出来、ビタミンCのサプリメントに頼る必要なく、臓器が必要とする栄養を取ることが出来る。

味噌や醤油との相性
カムカムの酸味はとても柔らかく、レモンやライムのように他の味を殺すことなく、どんなソースとも調和する。また、醤油や味噌との相性も良い。従って、日本料理にはほぼ問題なく使用できる。
カムカムは肉や魚ととてもよく合い、お薦めは焼いた牛肉を少しのカムカムと塩で味付けすることだと言う。
日本人は料理によって米酢やワインビネガーなどタイプの違う酢を使うことに慣れているので、特に問題なくカムカム果汁を自分たちの食事に取り入れることが出来るだろうと小田氏は言う。
カムカム普及協会の努力のお蔭で、カムカム入り飲料から飴にいたるまで、既に異なった製品が商品化されているが、ペルーのカムカムが大きく飛躍し、日本人の嗜好をとらえるためには、更にプロモーション活動に力を入れる必要がある。

© 「INTERNATIONAL PRESS」jun.28,2004 http://www.ipcdigital.com

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「タクシー・ウニオンの偽物」
先日、リマ市セントロからタクシー・に乗った。屋上には「TAXI」の看板、車体には「タクシー・ウニオン」のロゴ。タクシー・ウニオンといえば、日系御用達のタクシー会社。電話で呼び出すと、かなり料金は高いが安心さが違う。で、「こんな場所(メサ・レドンダ)で、流しで走っているタクシー・ウニオンに出会えるなんて、珍しい幸運」と思い、乗ってみた。
すると、どうも怪しい。 まず、運転がそうとう下手である。車体も悪いのか、異常な振動がする。運転手のシャツが薄汚い。シャツがまくりあがって、腹が見えている。そしてなにより、ラジオ(無線)が付いていない。
日秘文化会館までの道のり、そのあまりのうさん臭さに半ばドキドキしながらも、ついに聞いてしまった。
「あんたは、タクシー・ウニオンかい?」
「そうでさ、ダンナ!」
「じゃあ、ナンバー(数)は、何番だい?」
タクシー・ウニオンでは、車両ごとに会社による番号がつけられている。
「数…?ええと4か5だね」
なぜ「4か5」なのか!?なぜ、自分のナンバーがわからない?
そして、双方沈黙。
文化会館に到着し、プレートのナンバー「TQ5815」をすかさず控え、後日タクシー・ウニオンに問い合わせをしてみた。すると、
「そのようなナンバープレートの車両は登録されておりません」
との返事だった。
そもそも、ラジオ(無線機)のないタクシーが、タクシー・ウニオンにあるんだろうか?
「ございません。車体番号も[05]や[04]などのように、必ず0が付きます」
…やはり、ニセモノだった。ペルーではまさに、ほんとうに何でも起きる。
2004.3「ペルー新報」より

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ペルー日系人協会新会長にホルヘ・ハセガワさん
ペルー日系人協会(ビクトル・コンノ会長)の2004〜05年度役員選挙が2月27日、日秘文化会館大ホールにて行われ、単独候補のホルヘ・ハセガワ氏が新会長に選ばれた。全会員2,310名のうち159名が投票に参加し、過半数の138名がハセガワ氏を支持した。
新会長のハセガワ氏は感謝の意を表明、「会員の意志を尊重し、日系社会の一層の結束をめざして全力を尽くしたい」と抱負を述べた。移住100周年記念病院の建設事業の完成をはじめ若い世代の会への参加の呼びかけなど、新会長に寄せる日系社会の期待は大きい。
2004.3「ペルー新報」より

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100周年記念病院が第2期工事落成式
1月20日、日本人ペルー移住100周年記念病院の第2期工事の落成式がプエブロ・リブレ区の同病院で行われ、成田右文大使を始め、筧克彦JICA所長、ヘラルド・マルイ100周年記念事業建設委員長、ビクトル・コンノ日系人協会会長(当時)、ヘスス・マリア区およびプエブロ・リブレ区の区長らをはじめ病院建設に尽力した関係者や日系人一般の約300名が参加した。
落成式は日秘両国の国歌斉唱ではじまり、関係者の挨拶では壇上のマルイ委員長が建設資金の寄付者一人ひとりの名前を読み上げた後、建設にまつわる話を、時には涙も交えながら行い会場からは大きな拍手が送られた。
挨拶はその後プエブロ・リブレ区長、コンノ会長、成田大使と続き、最後に筧所長の音頭で乾杯が行われ楽しい歓談に移った。
2004.3「ペルー新報」より

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ペルー日系人協会が永世会員証の授与式
ペルー日系人協会の永世会員に対する証明書と徽章の授与式が2月13日、日秘文化会館大ホールにて行われた。
永世会員の資格は年齢70歳以上で同協会に10年以上所属した会員に対して贈られるもので、資格対象者は300名以上にのぼり、約半数の150名が今回の受賞式に参加した。 同協会では以前より永世会員の資格は存在したが、証明書などの発行や式典などは特に行っておらず、会員たちの印象も希薄であった。しかし、エルネスト・ツチカメ元会長の呼びかけで資格対象者の調査が始まり、約2年の歳月を経て今回初の授賞式が行われる運びとなった。
授与式はビクトル・コンノ会長の日西両語の挨拶で始まり、続いて歴代の会長らが出席者一人一人の胸に徽章を貼付し証明書を手渡した。その後永世会員の代表らが挨拶し、最後に長老の伊芸銀勇さんの音頭で乾杯、軽食をつまみながらの楽しい歓談が行われた。
2004.3「ペルー新報」より

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リマ市電が営業を再開
2003年の営業開始の直後に「警備関係の予算がない」としてリマ市役所が休業した「リマ市街区鉄道線」がこのほど、営業を再開した。
路線は、リマ市内南部のサン・ファン・デ・ミラフローレス区からヴィジャ・エル・サルバドール区までの約10kmを12分で結ぶ。始発は午前10時で終電は午後5時40分。運賃は50センターボス均一という。
主に利用するのは週末の買い物客と公園への行楽客で、月に24,000〜32,000人が見込まれている。
2004.3「ペルー新報」より

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フジモリ時代以降、就学率低下?
国立統計情報院(INEI)によると、フジモリ政権末期の2000年から2001年にかけて、小学校への就学率が低下している。
小学校への就学率は、1998〜2000年まではそれぞれ90.9%、92.7%、93.5%、と増加していたが、2001年には91.5%に落ち込んだ。フジモリ政権の末期以降からの経済低迷が影響しているのかは不明。ただし、全体的に「より学費の安い学校」を選ぶ傾向が強く、日系諸校が位置する中堅クラスの教育校で生徒数の減少が続いている。
国立校では建前は無料だが、さまざまな名目で、実質的には有料になっている。“学費”は校長や父兄会の自由裁量といわれ、学校によって差異がある。
一方、中学校では就学率が年によって変化する。同じく1998〜2000年の就学率は60.0%、59.3%、61.7%、であり、2000年は65.6%となっている。文盲率は12.1%(2001年年次統計)。
2004.3「ペルー新報」より

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旧リマ日校同窓会会長にルイス・カワノさん
2004〜05年度の旧リマ日校同窓会会長に就任したルイス・カワノさんと新役員が、1月19日に行われた新年会で就任宣誓式を行った。カワノさんは2期連続の会長。
挨拶でカワノ会長は旧リマ日校の同窓生が学校時代に築いた交友関係を保ち続けていることを強調。さらにフアナ・シロマ副会長の10年以上にわたる同窓会への貢献を称えた。当日は、ペルー日系婦人会やペルー日系人協会の代表らが出席し、音楽や踊りなどで盛り上がった。
2004.2「ペルー新報」より

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ahoritaという言葉
おそらく南米のスペイン語で使うと思うのだが、ペルーでも良く「ahorita(アオリータ)」という言葉を聞く。ahora(今)を特異化させている言葉で、この言葉が使われる状況で意味は変わってくるが、「たったいま」とか「今すこし」「ちょっと、今ね…」とかという意味になるようだ。

ペルーでは、ペルーの人に何か頼み事をすると、まあ、通常、遅れる。
ショウシャ(日系の進出企業。大使館で呼ぶところの邦系企業)の人たちは「リアクションが遅い」と指摘するが、まさにその通り。そして、時間にズボラすぎる。日本人のある人々が持っているような対人関係(特に仕事での)きめの細かい心遣い、なんてものは、ペルー国民の感情の中には、あまり存在していないように思える。そこがおおらかでいい、という人もいるが、ペルー人自身のなかにも、「おおらかさ」にガマンがならない人々が増えてきているような気がする。
このあいだの日曜日、メルカード(市場)で、ある男性が、店のオバチャンに怒り狂っているではないか。
「早く品物を出してくれ、俺は忙しいんだ!!」
オバチャンは鷹揚に構えて、くだんの言葉を吐く。
「アオリータ、アオリータ、セニョール(だんな)!」。
男性氏は、どうやらお金だけは払っているようだ。しかし、オバチャンは商品はおろか、お釣りもそっちのけで、となりの店のオバチャンと、なにか相談している。その相談はまだまだ続きそうである。男性氏の怒りの限界も頂点に達してきそうだ。側で見ていた私は、実はこのオバチャンはお釣りがないのではないかと思った(釣り銭がないことは、ペルーでも当たり前だから)。
ただ、この場合の「アオリータ」をなんと訳していいものか、ちょっと悩んだ。
2004.1「ペルー新報」より

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マチュ・ピチュ遺跡、保存の危機
年間45万人もの観光客を受け入れる世界遺産「マチュ・ピチュ遺跡」。しかし、受け入れ態勢の不備なども手伝い、遺跡の保存・保全がきわめて困難な状況に陥っている、とユネスコ。
2004.1「ペルー新報」より

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ペルーの人口増加
国立統計情報院(INEI)によると、2004年現在のペルーの人口は2794万7000人。昨年比で約8万人の増加で、2800万人は目前。乳幼児死亡率も改善されている、とのこと。
2004.1「ペルー新報」より

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フランシスコ・ピサロの像撤去
(2003.5.3付 International Press No.474の記事の大意)
リマ市当局はスペイン人征服者であり、ペルーの首都建設者であるフランシスコ・ピサロの像をペルー政庁脇の広場から撤去した。 ルイス・カスタニェーダ リマ市長は、その撤去は、旧市街を再建、美化し、観光を促進するためであるとし、同所にはペルー国旗、リマ市の旗、タワンティンスージョの旗を掲げる3本のポールを設置、今後はペルー広場という名称になる予定であると述べた。 ピサロの像は、1949年にペルー政庁脇の広場に置かれた。今後はアバンカイ大通りをずっと行ったところのムラジャ公園に設置される予定である。
© 「INTERNATIONAL PRESS」MAR.22,2003 http://www.ipcdigital.com

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30万年前ペルーに馬がいた
(2003.3.22付 International Press No.468の記事の大意)
リマ】(ロイター)馬は、スペイン人による新大陸征服時に南米に持ち込まれたと考えられているが、ペルーで約30万年前の化石が発見され、それよりずっと以前にこの地域に存在していたことがわかった。
馬は南米に再び持ち込まれた動物だったのだ。かつてこの地域に馬は存在していたが、約1万年前に絶滅しているとペルー自然史博物館の古生物学者ロドルフォ・サラス室長は述べた。今回、この部屋のメンバーが化石を発見した。
化石になった馬はほぼ完璧に歯がそろっており、脊髄と混同した助骨があり、足は前方に伸びている。ペルー自然史博物館の古生物学館の古生物学チームは、リマの南1000Kmにあるアグアーダデ ロマス砂漠でこの化石を発見した。かつて川が流れ、一帯が低木に満ち、牧草地だった時代、そこに住んでいたのだろう。
おそらく南米に存在する最も完璧な馬の骨であるとサラス室長は言う。
学術名をEL Equus(アメリカカバ)santaeelenaeといい、火山灰や泥でいっぱいの所から発掘された。そこでは以前に古生物学者らがメガテリウム(南米、北米のナマケモノに似た化石動物、先史時代の熊)やナマケモノ、グアナコ(南米のラクダ科の動物)の化石も発見している。
現代の馬によく似ているのだが、それよりも頭は大きく、足は短く、首はとても太い。その足の大きさから、おそらくよく走る動物だったのだろうと推測され、サバンナのような広大な環境に住んでいたとサラス室長は説明した。
馬は5千万年前にヨーロッパやアジアの北半球に生息していたが絶滅し、北米で生き残った。そして約300万年前にパナマ地峡が形成された後、南米に渡ったとサラス室長は言う。
© 「INTERNATIONAL PRESS」MAR.22,2003 http://www.ipcdigital.com

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インカの王トゥパクアマルの骨か
(2003.2.8付 International Press No.462の記事の大意)
リマ(Efe)スペインの科学調査最高機関の調査官マルティン・ルビオは、クスコの修道院で発見された骨がインカの王トゥパクアマルのものであるか確かめるためペルーに遠征隊を準備していると発表した。
調査官は、クスコの別の教会に、トゥパクアマルの伯父(叔父)が埋葬されている地下埋葬室があるとし、クスコの修道院で発見された骨のDNAを親族のものと照合したいと話した.。
1780年、並びに1645年の文献によれば、トゥパクアマルの地下埋葬室はクスコのサントドミンゴ修道院にあり、1780年にはトゥパクアマルと2人の兄弟、更に別の人物の骨が確認されたと付け加えた。しかしながらサントドミンゴ修道院に地下埋葬室はなかった。調査官は1950年にその教会が修復された際、埋葬室が開けられ、骨は17世紀の別の埋葬室に持って行かれたものと考えている。
そしてその別の埋葬室に骸骨や頭蓋骨が入った沢山の袋があり、ある大箱の中にはその当時の人にしては大きい男の骸骨が大変良い保存状態で残っていた。これはトゥパクアマルのものかもしれない。調査官が所有する文献の中で、トゥパクアマルはその当時にしては大男であると描写されている。
また、そのように良い状態で保存されているのは防腐処理を施されたせいであろう。
インカの王に関する調査は、ペルー国立文化学院(INC)の考古学者アルフレド・カンディアとジョランダ・ラウレルが協力した。また調査官は、1987年に発見した1551年の記録『インカ大全』のお陰で、この調査が可能だったと強調した。
© 「INTERNATIONAL PRESS」FEB.8,2003 http://www.ipcdigital.com

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アンデス山脈の贈物、ルクマ
(2002.8.17付 International Press No.437の記事の大意)
日本に住む中南米の人々は、アンデス地方のこの風変わりな果物を懐かしむ。黄色くて、柔らかく、そしてしっかりとした果肉は熟すと甘く、アイスクリームやケーキ、その他のデザートに最適である。日本では、ルクマは中南米製品を扱う店で冷凍果肉(ピューレ)で売られているが、ただ単に美味しいというだけでなく、炭水化物やビタミンが豊富な果物であることも証明された。ルクマの木の栽培はペルー、チリという特殊な気候風土をもつアンデス山麓地帯に広がっている。ルクマは湿潤で、夏の最高気温が25℃、冬の最低気温が5℃という環境でよく成長する。多年生で濃い緑色の木は3.4年で果実が付きはじめ、1ヘクタールで12〜14tの生産に達している。
<ルクマに関するアンデスの神話>
昔、クニラヤ・ウイラコチャという畑の神が乞食に姿を変え国を巡っていた。その国にはカウイジャカという大変美しい女神がおり、神々は皆、その女神に求婚していたのだが、女神はいつもその申し出を断っていた。
ある日、ルクマの木の下で編み物をしていた女神を遠くから見ていたクニラヤは彼女に近づくずるい方法を考えた。 クニラヤは鳥に変身し、熟したルクマがあるところまで飛んだ。そして自分の精液をルクマに入れ、女神がその美味しそうな果実を見つけ、喜んで食べると、なんと妊娠してしまったのだった。  その後、女神は自分の息子の父親が乞食であると知り、ぞっとして、息子とともに海に身を投げた。すると二人の姿は小島に変わってしまった。その時、女神に会うことが出来なかったクニラヤ・ウイラコチャは、世界をさまよいながら生涯を終えた。
© 「INTERNATIONAL PRESS」AUG.17,2002 http://www.ipcdigital.com

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カラル遺跡で楽器発見
(2002.6.15付 International Press No.428)
リマ】(Efe)ペルー人考古学者グループは5日(水)、カラル遺跡において、骨で作られた38個の楽器を発見したと発表した。カラル遺跡は、リマの北約200・のところに位置し、中南米において最も古い砦とされている。
国立サンマルコス大学の考古学・人類学博物館の専門家たちは、神殿の東パティオと呼ばれるところでそれらを発見した。
専門家がEftに示したところによると、その楽器はラクダ科の動物や鹿などの大腿骨、脛骨、助骨、上腕骨、尺骨で作られた笛、またはラッパで、大きさの異なる切り込みが施されている。
そしてそれらは軟体動物類の殻と一緒にささげ物として埋められていた。
博物館の専門家は、カラルでのこの発見は当時の人々の宗教儀式における音楽の重要性を表していると指摘した。
ここでは2年前にも骨で出来た笛が32本発見されており、それらは音楽学研究者によって研究され、昨年はコンサートも開かれた。
カラル遺跡は紀元前約2627年から2100年のものであると科学的に立証されている。砂漠の中央に位置し、65ヘクタールの土地を有し、32のピラミッドや城壁、大きな石のプラットフォームにより構成されている。
© 「INTERNATIONAL PRESS」JUN.15,2002 http://www.ipcdigital.com

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アンデス文明におけるいけにえ
(2001.8.18付 International Press)
クントゥル・ワシ(紀元前1200-250年)とほぼ同じ頃、いけにえという慣習が北高地の南部にはあったらしい。ワヌコ市近郊のコトシュ遺跡において、チャビン期(紀元前900年)の石壁の下に、蹲踞屈葬(そんきょくっそう)の幼児が埋葬された小さな墓が発見された。また、同じ時期の基壇の壁の裏側にも幼児が埋められていた。
やはり北高地南部で、コトシュよりは北にあるラ・パンパ遺跡では、基壇に登る階段の石の下に幼児が埋まっていた。
その基壇も階段もコトシュのチャビン期と同時期のラ・パンパ期のもので、土器の特徴がよく似ており、いずれも北高地南部の祭祀センターであるチャビン・デ・ワンタルと深く関係している。
チャビン・デ・ワンタルではいまのところ類似した幼児埋葬は見つかっていないが、神殿の石壁に穴を開けて、そこにほぞ付きの人頭石彫をはめこんでいた。
これがいけにえを表すものかどうかは確かではないが、同じ神殿から発見された石彫のひとつには、首を両手にさげた人物が刻まれており、ここでも人間のいけにえが重要視されていたと思われる。
クントゥル・ワシでは広場に面した小部屋の床下から数体の幼児の埋葬が発見された。しかし、特別の埋葬用構築物がないので、まだそれが捧げ物の一種なのか、いけにえなのかはわからない。
こうした首やいけにえは何を意味するのか。
いずれも神殿に伴うものとすれば、何らかの儀礼と関係する。ここで思い出すのがコロンビア東部森林地帯の先住民デサナ族の思想である。それによると森の動物は、山の奥深くに住んでいる神に支配されており、人間はこの神に願って、動物を森に放してもらい、それを狩って食糧にする。人間の要求はシャーマンが行う儀式をとおして神に伝えられる。
儀式の間、シャーマンは幻覚剤を飲んで、日常の心身の状態を脱し、ジャガーや鳥に変身し、動物の神が住んでいるところに出かけ、人間の魂と引換えに獲物が増えるよう神にお願いする。
籠や袋に人頭を入れて運ぶ怪物はおそらくシャーマンか神官であろう。神官は神と話をするためジャガー顔の怪物に変身し、首が象徴する人間のいけにえと引換えに、農業の豊穣や狩りの獲物あるいは家畜の増殖を手に入れる。
アンデス地方では、そのような神々は天におり、山の頂上に住んでいるので、神官は飛べるよう、翼を持たなければならない。首切り役の神官またはその補佐役は大抵は鳥の羽で飾られた衣装をまとっている。
© 「INTERNATIONAL PRESS」AUG.18,2001 http://www.ipcdigital.com

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マチュピチュ、クスコの農場主が発見
(2001.7.28付 International Press)
世界中から沢山の観光客が訪れる観光地のひとつ、マチュピチュのインカの要塞は、米国人探検家ハイラム・ビンガムが発見したのではなく、ペルー人農場主が発見した。
クスコの農場主アグスティン・リサラガは、ビンガムより9年早い1902年7月14日、クスコの南の県の密林地帯を訪れた際、「インカの失われた都市」を発見した、とリマの日刊紙が明らかにした。
その新聞は、リサラガが同じくクスコ出身のガビノ・サンチェスやエンリケ・パルマと共に1902年にその地帯を訪れたことを明らかにするため、資料や歴史家たちの証言を確かめた。
雲と草木に覆われた山にあることから「雲の都市」とも呼ばれるマチュピチュの発見者は、インディー・ジョーンズのような外見で、すらりとした白人のハイラム・ビンガムだと考えられていた。
1911年7月24日、国立地理学会とエール大学が出資した調査旅行で、ビンガムは、ひとりの農村の子供とペルー人治安警察隊員と共にその地域を訪れた。
1913年、有名な科学雑誌がそのa"発見"の特集号を発表し、米国人探検家の評判は広がった。
その発見に関する公の歴史書はかなり知られているが、クスコの知識人はかなり知られているが、クスコの知識人の間では別の人、つまり農場主アグスティン・リサラガが発見者であると認識されている、と日刊紙は指摘した。
その情報は元クスコ市長ホセ・ガブリエル・コッシオ(1887-1960)の証言に基づいている。彼は、ビンガムの少し後、リサラガが進んだルートでマチュピチュを訪れた最初のペルー人の一人だった。
ペルー人歴史学者マリアナ・モウルド・デ・ペアセは、ビンガム自身、そのクスコの農場主がインカの要塞を訪れた最初の人間であったことを認めていたと主張した。
モウルドは、その証言がビンガムの3番目の息子アルフレッドM・ビンガムが書いたビンガム伝『ある探検家の肖像:マチュピチュ発見者ハイラム・ビンガム』に書いてあると指摘する。
それによると、アルフレッドM・ビンガムは父親の手帳に、「アグスティン・リサラガがマチュピチュの発見者であり、サンミゲル村に住んでいる」というメモを見つけたということである。
更に、その要塞の3つの窓(las Tres Ventanas)の寺院の壁に、「1902年7月14日、リサラガ」と炭で書かれていたと指摘した。
モウルドは、リサラガが最初の旅行の何年も後、1902年の探検と同じコースでマチュピチュに戻ろうとしたと付け加えた。
それは雨期だった。リサラガがマチュピチュの頂上まで登ろうとウルンバ川を渡ろうとした時、濁水が彼を押し流し、その後二度と彼の姿を見ることは出来なかった。
アルフレッドM・ビンガムは、父ビンガムの本『インカの失われた都市』の中でリサルガに対する記述がすべて削除されていると指摘した。
父よりも前にそこを訪れた人間がいたという証拠は他にもある。それは父親が撮った写真で、それを見れば、要塞の大部分が父親が言ったような"何世紀もの草木"に覆われてはいなかったことがわかると付け加えた。
モウルドは、ハイラム・ビンガムが当時のアメリカ合衆国大統領とクスコ大学の学長で同郷人のアルベルトA・ジーセックを介してペルー人執政官アウグストB・レギアから1911年にマチュピチュへ行く許可を得たことを指摘した。
また、レギアはインカの要塞から発見された骨や遺跡、書類をすべてハイラム・ビンガムが米国へ持って行くことを許可した。
1911年と1916年に発行された許可証には、アメリカ合衆国にそれらを置く期間は最大18カ月と記されていたにもかかわらず、現在もエール大学にある。
歴史学者モウルドは、ペルー当局が遺跡をその要塞の博物館に展示するため帰還申請を出していると述べた。
しかしながら彼女の意見によれば、博物館はそのような重要な展示物の保存や安全の条件をまだ満たしていないということである。(David Blanco Bonilla/Efe)
© 「INTERNATIONAL PRESS」JULY.28,2001 http://www.ipcdigital.com

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